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Luận văn thạc sĩ câu bị động trong tiếng nhật, đối chiếu với đơn vị tương đương trong tiếng việt và những lỗi sai người việt nam học tiếng nhật thường mắc

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THÔNG TIN TÀI LIỆU

Thông tin cơ bản

Tiêu đề Câu bị động trong tiếng Nhật đối chiếu với đơn vị tương đương trong tiếng Việt và những lỗi sai người Việt Nam học tiếng Nhật thường mắc
Tác giả Nguyễn Thị Thu Trâm
Người hướng dẫn PGS.TS Đỗ Hoàng Ngân
Trường học Đại học Quốc gia Hà Nội - Đại học Ngoại ngữ
Chuyên ngành Ngôn Ngữ Nhật Bản
Thể loại Luận văn thạc sĩ
Năm xuất bản 2015
Thành phố Hà Nội
Định dạng
Số trang 85
Dung lượng 1,02 MB

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Nội dung

GIẤY XÁC NHẬN Đề tài tên tiếng Nhật: 日本語の受け身 ベトナム語との対照ベトナム人日本語学習者のその誤用 Đề tài tên tiếng Việt: Câu bị động trong tiếng Nhật Đối chiếu với đơn vị tương đương trong tiếng Việt và những lỗi

Trang 1

ハノイ国家大学 外国語大学 大学院

**************

NGUYỄN THỊ THU TRÂM

日本語の受け身 ベトナム語との対照

ハノイ、 2015年

ĐẠI HỌC QUỐC GIA HÀ NỘI

Trang 2

KHOA SAU ĐẠI HỌC

*************

NGUYỄN THỊ THU TRÂM

日本語の受け身 ベトナム語との対照

GIÁO VIÊN HƯỚNG DẪN: PGS.TS ĐỖ HOÀNG NGÂN

Hà Nội, 2015

Trang 3

GIẤY XÁC NHẬN

Đề tài (tên tiếng Nhật):

日本語の受け身 ベトナム語との対照ベトナム人日本語学習者のその誤用

Đề tài (tên tiếng Việt):

Câu bị động trong tiếng Nhật Đối chiếu với đơn vị tương đương trong tiếng Việt

và những lỗi sai người Việt Nam học tiếng Nhật thường mắc

Học viên: Nguyễn Thị Thu Trâm

Chuyên ngành: Ngôn ngữ Nhật Bản

Mã số: 60220209

Xác nhận học viên đã chỉnh sửa luận văn theo góp ý của Hội đồng

Xác nhận của Giáo viên hướng dẫn Xác nhận của Chủ tịch Hội đồng

Trang 4

私はNguyễn Thị Thu Trâmで、大学院学科の院生です。私の修士課程論文は文学作品における日本語とベトナム語の指示詞の対照をテーマとして作成しました。指導教師の教えるを元に、自分で論文を書くのを保証いたします。他の論文からこピーしないことにしました。

Nguyễn Thị Thu Trâm

Trang 5

本論を行うために多くの方々から、ご協力及びご援助をいただきました。とくに、ハノイ国家大学・外国語大学のĐỗ Hoàng Ngân 先生は本論文に対して、深い関心を示してくださり、構想の大枠から問題設定まで、懇切なるご指導を賜りました。厚く感謝申し上げたいと思います。また、東洋言語文化学部の先生方が貴重なご意見を下さったことにも心から感謝いたします。

Trang 6

目次

序論

1.研究の背景 ………1

2.研究の目的……….…….2

3.研究の対象と範囲 ……… 3

4.先行研究……… 3

5.研究の方法………10

6.論文の構成………10

第一章 日本語の受け身およびベトナム語との対照 1.1.日本語の受け身……….………11

1.1.1.受け身の概念……….…….11

1.1.2.日本語の受け身の分類……….…….19

1.1.2.1.問題の設定……….… 19

1.1.2.2.本稿の分類……….… 20

1.2.ベトナム語の受身表現との対照……….…30

1.2.1.形態の面……… 32

1.2.2.意味の面……… 33

1.2.3.構文の面……… 34

1.3.本章のまとめ……….36

第二章 ベトナム人日本語学習者の受け身の使用に関する調査 2.1.調査の概要 ……… ….37

2.1.1.調査の目的……….….37

2.1.2.調査対象者……….….37

2.1.3.調査内容の範囲と方法……….….39

2.1.4.調査の小テストの作成……….….39

2.2.調査結果と分析……….40

2.2.1.受け身と自動詞との混用……… …41

2.2.2.受け身と他動詞との混用……… …45

2.2.3.受け身と使役受け身との混用……… …49

2.2.4.補助動詞に見られた誤用……… …50

2.2.5.同じ「~られる」形の用法との混用……… …51

2.2.6.他の誤用……… …54

2.3.本章のまとめ……… 59

第三章 受け身の指導のポイント提案 3.1.問題の設定……….61

Trang 7

3.2.適切な指導のためのポイント 62

3.2.1.受け身文と自動詞文の区別 62

3.2.2.話者の視点の強調 63

3.2.3.「Bị」、「Được」構文および受け身文の関わりの解釈 65

3.2.3.1.日本語の受け身文に対応する「bị」構文、「được」構文 65

3.2.3.2.日本語の受け身に対応しない「Bị」、「Được」構文 66

3.2.4.同じ「~られる」形の用法の区別 67

3.2.5.練習問題の追加 69

3.3.本章のまと 70

結論 71

参考文献 74

付録 75

Trang 8

序論

1.研究の背景

人間の社会というのはあくまでも人と人のコミュニケーションによってますます発展していると思われる。そのコミュニケーションはどのようにされてきたのだろうか。人間は実際に接して、身振りや目などではある程度言いたいことや考えていることを相手に伝えることができる。そのような人同士の行為は本当のコミュニケーションだと言えないだろう。しかし、そういう方法で聞き手にただ出来事の内容を理解してもらうということで済む。そのため、大事な話し手の気持ちはほとんど伝わらなくなってしまう。それはなぜ言語は人間の社会には欠かせないコミュニケーションの手段になっている理由であろう。

言語というものはある国の言語にはその国の習慣と風俗、またはその国の文化の特徴が含まれている。だから、各国の言語はそれぞれほかの言語には見られない特徴がある。言葉の存在のおかげで、人の感情や考え方が明確に表されるということで、コミュニケーションが自然に最高の効果に達すると言われている。もっとも、話し手と聞き手の関係によって、そして、さまざまな場面に応じ、感情、意見などを述べるのは簡単なことではない。むしろ、言いたいことや考えていることを直接的に伝えると、かえて相手が誤解してしまったり、何かが気になってしまったりする場合や話してには好ましくないことになってしまう場合などもよくあるのではないだろうか。そこで、直接言うのを避け、婉曲な表現や言いたいことが言えるし、気持ちも伝えるし、言う必要のないことが隠せる表現がよく使用されている。これは日本語の特徴だと言われている。

ところで、その人間の気持ちや意志などを表すには、命令・依頼・勧誘や義務・許可・禁止や意志・願望・判断など、いろいろな表現がある。そのほかに、使役文、授受表現、尊敬語、受け身文などもよく使われる。その中に、特に受け身文

Trang 9

は非常に興味深い表現で、これまで日本語専門の研究者がよくテーマに取り上げ、分析したり、解説したりしてきた。では、実例を考察してみよう。

AとBという二つの野球チームが対戦し、AチームのバッターがBチームのピッチャーからホームランを打ったとする。Aチームのファンであれば、「。。。選手がホームランを打った」というだろうし、Bチームのファンなら「。。。選手にホームランを打たれた」ということが多い。

この「打つ」と「打たれる」のような違いは「○○選手がホームランを打った」という事実をAとBどちらの立場からとらえるかによって生じる。

けれども、深く考えると、Aチームのファンが言う文はその出来事のありさまを叙述するだけであり、かえて、Bチームの言う文にはその事件を述べること以外に打たれることは彼らにとって不満、被害になってしまうというニュアンスも含まれている。このニュアンスはどのように受身文に表されるのか、次の例文を見てみよう

(a)彼女のお母さんが入院した、(b)彼女はお母さんに入院された。 この二つの例文を読んでみれば、両方とも「彼女のお母さんが入院した。」ということを陳述するが、よく考えると、例文(a)は何も気持ちを入れず、ただ事実を述べることで済んでしまう。逆に、例文(b)はその「彼女」のさびしさや心配な気持ちが読み手、聞き手に伝わてくる。つまり、個人の立場に立つ言い方に受け身表現がよく使われる。この受け身表現によって、話しが生き生きとして進んでいる。

2.研究の目的

以上述べたように、受け身文は日本語文法には重要な用法であったり、日本語学習者の使用回数が多かったりする。ところが、さまざまな原因で、日本語学習者が受け身の使用の際には、誤解したり、間違ったりするのはよくある。それで、日本語の教育上では、通常生じる誤用を避けるには、適切な指導が必要になる。

本稿において、まず日本語の受け身用法の概要を紹介したい。日本語の受け身はどんな形を持っているか、そして、どうのような意味やニュアンスや特徴などがあるか、その概略を述べる。しかし、ベトナム人学習者を中心に、受け身文を用いるとき、どんな誤用が通常生じるか考察し、その回避には、どんな指導方法が適当であるか、記述するのは本研究の主な目的となる。

Trang 10

3.研究の対象と範囲

本稿において、日本語の受け身文について概略の形で、紹介した上で、その受け身の使用にはよく見られる誤用やその回避のための教育上の指導を主に研究する。本研究の対象は受け身であるが、受け身そのものの具体的な説明ではなく、その概要しか述べない。それより、日本語学習者がよく触れる実際に使用の際の誤用を研究する。そして、教育上では、適当な指導方法についても同時に、指摘したい。 ところで、これまで日本語の受け身についての研究が数え切れないほど数多くある。そして、日本語の受け身を使うときと誤用に関しても、かなり研究されてきた。しかし、本稿では、ベトナム人学習者を中心にし、その誤用を考察する。具体的に言えば、ハノイ国家大学・外国語大学付属外国語専門高等学校において、日本語コースに従う学生を対象にし、その使用実況を見る。つまり、本研究はベトナム人学習者の受け身の使用の際に見られる誤用を通し、日本語の受け身の誤用について調べる。さらに、そのような誤用を回避するには、どんな指導方法が必要になるかも述べる。

4.先行研究

周知のとおり、受け身文の研究はこれまで数多くあるが、それぞれ重視する内容がある。受け身の種類を主にするものがあれば、日本語の受け身文の特徴を示すものもある。

受け身文の分類については、従来の研究では、いくつかの視点から分類されてきた。代表的なものには、対応する能動文のどの格が主語になるかによる(1)

「直接対象の受け身」、(2)「相手の受け身」、(3)「持ち主の受け身」、(4)

「第三者の受身」の四種類(鈴木1972)、主語が被害・迷惑を被る意味合いの有無による(1)「中立受け身文」および(2)「被害受け身文」の二種類(久野1983)、そして、何を主語として表現するかによる(1)「直接受け身文」、(2)「間接受身文」、(3)「持ち主の受け身文」の三種類(日本語記述文法研究会(編)

(2009))などがあげられる。しかし、否定できないのは「直接受身文」および

「間接受身文」の2種類の分け方がもっとも使われることだと言えよう。代表的な分類は寺村(1982)、井島(1991)にまとめられている内容のようである。受身文の

Trang 11

文法構造に重点が置かれるか、「被害」のような意味に重点が置かれるかなどによって、この2種類の文の名称がそれぞれ異なる。文法構造に重点が置かれる研究として、寺村(1982)、柴谷(1982)がある。一方、意味上に重点を置かれる研究としては、久野(1983)がある。また、この2種類以外にも、異なる基準による分類が数多くある。たとえば、俺(2001)は、対応する能動文の有無や主語の影響の受け方を基準として、受身文を「直接受身文」「間接受身文」「中間的な受身文」と3種類に分類した。

日本語教育の指導項目の一つとして「受身」がある。どの初級の教科書にも受身の項があり、少なくとも受身形の形成及びその用法について説明がなされている。その説明の中には、普通以下のような用語、概念が用いられている。

直接受身、間接受身、所有の受身、非情の受身、有情の受身、中立受身、迷惑受身、持ち主の受身、自動詞の受身。

数多くある受身文に関する先行研究の中でも、意味的な観点から分類した松下(1930)、主に文構造およびそれに従う意味によって分類した三上(1953)、形態的な観点から分類した鈴木(1972)、寺村(1982)、そして、それまでの先行研究を踏まえ、受身研究をさらに進展させた益岡(1991)の五つの先行研究について概観する。

松下(1930)は、レル・ラレル形式のうち、受身・可能などを表すものを

「被害の動助辞」と解説した。そして、その中でも、受け身表現を「実質的被動」と呼び、さらにそれを「単純の被動」および「利害の被動」に分けた。では、具体的な例文は以下のようである。

例文1:

例文2:

国旗は高く檀上に掲げられた。 (単純の被動)

Trang 12

利害の被動とは「ある対象の動作に由って利害を被る意を表す被動」である。また、単純の被動とは「利害を被る意味その他特殊の意味の無い被動」と松下が研究で述べた。

三上(1953)は、主に西洋文法と比較の視点から論じ、日本語の受身文を

「まともな受身」および「はた迷惑の受身」に分けた。以下の例文3において、能動文3における主格要素「Aが」を「Aに」に変え、動詞を受身の形に変えると受身文になるが、その空白になった主格部分を外部から補ったものが例文3である。この3(b)のような受身文を、例外なく迷惑の感じが伴うものばかりであるので、「はた迷惑の受身」と呼び、能動文3(a)のヲ格要素「C」 、二格要素「B」が、空白になった主格部分を補った3(c)、3(d)のことを、動詞の意味次第で、恩恵にも迷惑にもなり、平気なことも起こるが、その迷惑にしても、はた迷惑ではなく、真っ向からの被害であることから「まともな受身」と呼んだ。

鈴木(1972)は、受け身文にしたときに対応する能動文のどの格要素が主語になるかという基準により受け身文を分類した。まず、能動文の動詞の示す動きの直接対象(ヲ格)を主語として表す4(b)のようなものを「直接対象の受け身」、能動文の動詞の示す動きの相手(二格)を主語として表す5(b)のようなものを「相手の受け身」、もとになる動きの対象の持ち主(ノ格)を主語として表す6(b)のようなものを「持ち主の受け身」、もとになる動詞により迷惑を受ける第三者(能動文には登場しない要素)を主語として表現する7(b)のようなものを「第三者の受け身」と呼んで区別した。

Trang 13

例文8:

花子の家は高層ビルに囲まれている。

そのほかに、仁田尾(2009)では、もとの文のどの構文要素が受け身文の主語として表されるかによって、「まともの受け身(直接受け身)」「持ち主の受け身」「第三者の受け身」の三つに分けられている。

① まともの受け身(私は先生にしかられた。)

② 持ち主の受け身(彼は隣の人に足を踏まれた。)

Trang 14

③ 第三者の受け身(僕は雨に降られた。)

以上、先行研究による受身文の分類を考察した。見て分かるように、言語研究者により、受け身文に関する考え方がさまざまで、その分類法もそれぞれ異なる。以上記述したことを分かりやすくなるように、以下の表1でまとめてみよう。

-第三者の受け身

Trang 15

以上で記述したように、日本語の受身文の分類については、確かに数多くの分け方がある。本稿では、日本語教材として使われている『新編日語』(1994)での分類法に一番近い寺村説(1982)に従うことにする。寺村(1982)によれば、日本語の受身文は、出来事からの影響の受け方により、「直接受身文」および「間接受身文」の2種類に分けれらる。

これに対して、日本語教材の『新編日語』(1994)では、受身文は(1)「主語が人である直接受身文」、(2)「主語が事あるいは物である直接受身文」、

(3)「間接受身文」の三種類に分けられ、さらに(3)「間接受身文」は①「自動詞受身文」および②「目的語がつく受身文」に分けられる。

本稿では、出来事からの影響の受け方により、基本的に「直接受身文」および「間接受身文」の二種類に分けられる寺村説(1982)に従い、日本語教材の『新編日語』(1994)に書いてある分類も結合して、各種類の受身文を詳しく説明しながら、日本語の受身文の特徴などを明らかにする。

ところで、日本語の受身の研究の同様、ベトナム語の受身についての研究もかなりある。その代表として、宇根祥夫(1983)、富田健次(1989)など、日本の研究者によるものと、Lê Thị Thanh Hà(1999)、Diệp Quang Ban(2001)など、ベトナムの研究者による研究があげられる。しかしながら、日本語の受身とベトナム語の受身の対象比較についての研究はあまりない。そこで、本稿では、以上の研究者の研究成果をもとにし、日本語およびベトナム語の受身の特徴を分析しながら、その対象比較を詳しくしたいと思われる。

受け身の使用の誤用についても、いくつか研究がされてきた。ハノイ大学・日本語学部のグェン・タン・ヴァンはベトナム人学習者の作文を通し、受け身の使

きい影響を与えることを示した。グェン・タン・ヴァンは日本語の受け身とベトナム語の受け身の対照研究の結果から、学習者が日本語の受動文を使用する際、以下のような誤用が出てく るであろうことが予想された。

②「持ち主の受身」の「持ち主」と「持ち物」の文法的役割に関する誤用

Trang 16

③ 受身の意味を表さない 「được」構文・「bị」構文が日本語の受動文に転用する

誤用

学習者の作文を分析することにより、予想した受け身の3つの誤用のパターンを確認した上、さらに予想しなかったもう2つの誤用のパターンも提示した。

④ 複文の中の主語の統一に関 する誤用

⑤ 助詞の選択に関する誤用も見られた。

中村(2002)は中級学習者の受け身使用における誤用例の考察という研究を行った。中村(2002)は過去 3年間の「中級文去クラス」の学習者に対する受け身指導も含めた全指導過程において見られた誤用例延べ数238をまとめ、 以下のように、誤用を分類した。

Trang 17

しかしながら、以上述べた従来の受け身についての研究には、確かに受け身の使用の誤用をテーマにし、考察するが、中国や韓国人の学習者を対象にするものが多いのに対し、ベトナム人学習者を中心に、研究を進めるのがまだ少ない。その理由で、本研究では、以上紹介した中村(2002)の研究を参考にし、その解説に従い、研究を進めたい。ただし、ベトナム人日本語学習者の場合は、母語の影響も誤用が生じる要因の一つであり、本稿では、それも含め、研究を行う。

5.研究の方法

本稿では、まず日本語の受け身の概要について述べる。そして、実際に日本語を選考としている学生を対象にし、小テストの形式で、受け身の使用の実況を考察し、その考察結果により、通常生じる誤用を指摘する。本研究の調査はハノイ国家大学・外国語大学付属外国語専門高等学校において行い、その結果を解説したり、誤用を生じさせる原因は何だかも分析する。最後に、日本語ベトナム人学習者を中心に、その誤用の回避には、適切な指導ポイントも提案する。

6.論文の構成

序論では、本研究の背景や目的や範囲などを述べ、受け身に関する先行研究も紹介する。受け身についての研究はこれまで数多くされてきたが、研究者によって、その観点もさまざである。詳しくは序論において、説明する。

第一章では、まず受け身の概念について論じ、日本語の受け身文の種類を述べる。次の節でベトナム語の受け身の特徴を示し、両言語の受け身を対照した上、その共通点と相違点を明らかにする。

第二章において、ベトナム人日本語学習者が受け身を使う際、どんな誤用が生じるか調査を通し、明確にする。そして、その要因は何かも考えてみる。調査は小テストの形で、外国語専門高等学校において行われる。

第三章では、調査で発見された誤用を回避するのにどんな指導や教授法が適切か提案する。この提案は調査の対象である外国語専門高等学校の学生を目指している。それに、現在使われている教科書の問題点も述べ、その練習問題の追加に役立つ提案もする。

結論では、本研究で論じられた内容をまとめ、今後の課題を述べる。

Trang 18

ここでは、まずその代表的な定義を紹介してみる。受身文というのは一方から、他方にある行為や動作や作用を与え、その影響の受ける場合、その影響を受けた側の人、あるいは、物を主体にし、出来事を表すものである。簡単に言えば、受身文を「ある人や動物やものが他から何らかの影響を受けることを表現する」という形式とするとしよう。

本稿では以上述べたように、寺村説および日本語教材として使われている

『新編日語』(1994)に従うことにする。寺村(1982)は「受身というのは、要するに、動作作用の主体が、他の何ものかに働きかける場合に、動作主、つまり動きの発するところを主役とするのでなく、動きを受けるもの、動きの向かう先を主役として事態を描く表現である」と述べている。

文法の面から受身文を詳しく考察する場合は、いろいろな疑問が出てくるだろうと思われる。いったい受身はどんなものか、そして、どういうもののことを言

Trang 19

うのかをはっきりさせておかなければならないという理由で、次のうち、明確にしたいと思う。まず、どういう形をしている文が受身文と言えるようになるのか、という質問のようである。では、受身文であると言い得るためには、どのような規定があるか、考えてみよう。以下では、言語研究者が認めてきた主な二つの規定をあげてみる。

・形態的な規定:

世界中の言語には、ある文が受身文だと認めるためには、形態的な規定を基にするものが多いようである。例えば、英語の場合は、「BE」という動詞および過去分詞の組み合わせで、受身用法が結成される。ベトナム語はどうだろうか。受動意味を表す特殊助動詞群およびその文の動詞と組み合わせることによって、受身用法が形成される。では、日本語の場合は、どのようになっているのだろうか。受身の形は、元の動詞の活用によって異なる。この形は他の用法にも見られる。受身形

文の述語には、動詞(未然形)に「(ら)れる」という助動詞が来る。

本章では、「五段動詞」、「一段動詞」および「特殊変化動詞」という3グループに分け、受身動詞の活用を指摘しておく。詳しくは下の表1に示したいと思われる。受け身の動詞を作る接尾語「れる」および「られる」は従来、助動詞として取り扱われてきたのであるが、その頃にも述べるとおりに、これらの助動詞は、言葉としての助動詞にも属するものではなく、詞の中の用語だとは考えなければならないものである。一般的に、助動詞のついたものは一つの句であって、どこまでも二語として取り扱わなければならないものであるが、助動詞のついたものは、これを複合動或はまたく一語として取り扱うことができるのである。したがって、主語との照応も、受け身文の場合は、助動詞のついたものが一語としてその述語となることができるわけである。

周知のとおり、動詞未然形にいわゆる助動詞の「(ら)れる」が下接した形にはいくつかの用法がある。学校文法をはじめ、広く行われている理解では、以下の4つの用法に分けられている。

Trang 20

~areru

書-kareru 話-sareru 取-rareru 死-nareru 飲-mareru

・この本が1990年に書かれた。

・英語は世界中の人々に話されている。

・泥棒に財布を取られた。

・愛犬に死なれて、悲しかったです。

・妹にジュースを飲まれた。 一段

Trang 21

・この試合は今晩テレビで放送される。

(d)だけは受身用法である。では、動詞のグループに分け、どちらが自発用法、可能用法、尊敬用法、受身用法か、考えてみよう。

例文11:(1グループ)

Trang 22

「食べられる」、「来られる」でも、受身用法ではなく、尊敬用法か可能用法、あるいは、尊敬用法になる場合もある。そのため、形態的な規定だけでは、その文が受け身だとは認められないのではないだろうか。同じ動詞の形が使われるけれど、意味の面から考えなければ、誤解してしまう場合も少なくない。

• 意味的な規定:受身文であるものは主語がそれ以外の動作主の引き起こ

すの作用や影響を受けるという意味を表す。

以上にも述べたように、一つの文が受身文であるか、受身文ではないか区別するには、動詞の形態だけでなく、意味も考えなければならないと言えよう。それをより深く理解できるように、次の例文をみよう。

Trang 23

以上の例文を見てわかるように、使われる動詞はすべて「(ら)れる」の形をとっている。言い換えると、形態的には受身文と呼ばれることになってしまうが、意味的な規定から考察してみれば、可能の意味を持っている文(例文15)と尊敬の意味を持っている文(例文16)がこの規定には合わない。このように、意味的な立場から見ると、受身文を形成する動詞はどれだろうか。所動詞は受身文の成立たないもの、能動詞の自動詞と他動詞は受身文の成立つものということにある。

そして、この意味的な立場から、受身文の主語つまり受動主体にとって、動作主から与えられた作用・影響から迷惑の意味を感じるか、好ましいと感じるか、または中立的に感じるかによって、受身文を三つのタイプに分けることができるだろう。迷惑の意味が出るのは、ほとんど受け身文の主語が作用・影響を間接的に受ける場合である。次の例から考察を行う。

Trang 24

的な所有物「財布」が関与したため、「彼女」は有情物の主として迷惑を感じることが分かる。このように、例文22 を考えてみると、「日記を読む」というのは

「妹」の動作です。けれども、読まれる「日記」は主語の「私」ですから、たしかに「私」もその出来事に巻き込まれている。言い換えると、誰にも読まれたくない日記を読まれたのは「私」には迷惑を与えた。つまり、例文18 と22 において、受け身主体と動作対象の関係が所有関係であり、受け身主体が間接的に影響を受け、迷惑を感じると考えられる。

見て分かるように、例文18 と22 で使われる動詞は他動詞であるが、主体が影響を間接的に受けた意味を表す受け身文にはこのほかに自動詞から形成された受け身文もある。例文18 はその例の一つである。当然ながら、受け身文の受け手「彼」は「雨が降った」という出来事には関与しないが、ただ雨が降ったので、その被害を受ける。

その一方、受け手は動作主から与えられた影響が迷惑の意味が出なく、好ましい感がする場合も、中立的な意味が表す場合もある。

例文17「私は他人に子供をほめられて、うれしいです」は例文18 と22 と同じように、受け手は出来事から影響を間接的に受けるが、受け手の感情を考えてみれば、迷惑を感じているとはまったく言えないのではないだろうか。さらに、受け 手

「私」と動作の対象「子供」との関係は密接的な関係なので、例文18 の受け手「彼女」と22 の受け手「私」と同じ、その出来事に関わる。ただ、相違点が生じる原因は「ほめられる」という出来事が好ましい出来事である反面、「とられた」と「読まれた」という出来事は被害的な出来事だからのである。以上のことから、迷惑の意味が出るか出ないかは、動詞語幹の表す事態と主語が関心ある関係者としてそれを認識する、という二つの事態が認められるかどうかに関わっていると考えられるだろう。詳しく言えば、受け手は迷惑だと感じているか、好ましいと感じているかは、その動作の性質が決めていると言えよう。

「ほめる」という動作の性質について言えば、誰でも頭に思い浮かべるのは好ましい出来事だろう。だが、例文20 では、「母が妹をほめる」という出来事で、受け手「私」は寂しくなる、つまり、迷惑を感じる。

Trang 25

例文19「彼は雨に降られた」では、主語「彼」は動詞語幹が表す事態、つまり

「雨が降る」ということと直接的に関わらないが、「雨が降った」(出来事)せいで、彼がぬれて、いやな気持ちになると言えるだろう。このように、受け手「彼」は出来事に対して、あまり好ましくない態度を持っていると、常に考えられるのだろうか。しかし、その反面、受け手「彼」を長い間雨が降っていない地方に住んでいる雨がほしい人の立場にしておけば、その人は「雨が降った」という出来事から恩恵を得ると言えよう。このように考えれば、迷惑の意味を持っている受け身文は当然この場面で使えるだろう。確かに、受け手の「彼」が「雨が降った」という出来事から、影響を受けるという意味が変わらないが、恩恵を得る場面では、「雨が降ってくれた」のようなもっとも自然な日本語の表現が使われる。

これまで考察された例文での利害を感じている受け手はほとんど友情名詞である。無常名詞はどのように考えればよいのではないだろうか。無情名詞が主体となる受け身表現では動作の対象がその主体となる。

例文23:

(a) この大学が20年前に建てられた。

(b) 会議は会議室において行われる。

この種の受け身文では動作を行う主体は表現されないことが多いが、表現される場合には、主として、格助詞相当句の「によって」が用いられる。

例文24:

(a) この名画はレオナルド・ダビンチによって描かれた。

(b) 電話はベルによって発明された。

無情名詞を主体とする受け身文が動作を伴って表現されるのは、受け身主体の属性(性質と特徴)を述べる場合が少なくない。それで、友情名詞の場合と違って、受け身の主体(受け手)の気持ちとかを表す機能がない。つまり、中立的な意味を持っているということである。

例文25:

彼女の財布がどろぼうにとられた。

Trang 26

例文25「彼女はどろぼうに財布をとられた」と比べてみよう。同じ出来事「どろぼうが彼女の財布をとった」についてのこの二つの例文の意味が微妙に違う。「彼女はどろぼうに財布をとられた」という文では、友情である受け身主体「彼女」としては、迷惑を感じているのに対し、「彼女の財布がどろぼうにとられた」という例文では、無情である受け身の主体「彼女の財布」の「とられた」という出来事が描写されており、迷惑か好ましいかというニュアンスはまったくしない。

1.1.2.日本語の受け身の分類

1.1.2.1.問題の設定

従来、日本語の受け身についての研究が多くされてきた。特に、受け身文の分類法は1970 年以降から、現在に至るまで議論されている。本論では、日本語の受け身文に関する知識を深め、さらに、分かりやすくするということを目的としているため、先行研究を紹介し、そして、その結果を総合し、明確に記述する。

寺村(1982)では、日本語の受け身を直接受け身と間接受け身の二種類に分類している同時に、意味特徴と構文特徴という二つの角度から直接受け身と間接受け身を述べている。たとえば、直接受け身文の「直子ちゃんは祖母に育てられた」は、主格の名詞「直子ちゃん」が述語動詞「育てる」の影響を直接的に受け、また対応する能動文「祖母が直子ちゃんを育てた」を持つ。それに対し、間接受け身文の

「私は弟にケーキを食べられた」は、主格の名詞「私」が述語動詞「食べる」の影響を間接的に受け、また「弟が私を(に)ケーキを食べた」とすれば、非文となってしまう。また、寺村の分類では「持ち主の受け身文」も「間接受け身文」の一種であると指摘している。

なお、寺村(1982)では、「X がY にZ をV られる」という表面構造がすべて間接受け身とは限らないと指摘されているが、この表面構造がほかにどのような受け身文を表すのか、これらの受け身文はどのような構文特徴を持っているのかについて詳しく述べられていない。

受け身文の特徴を意味特徴および構文特徴を分け、表3 に示す。

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1.1.2.2.本稿の分類

以上述べたように、受け身文の分類をめぐる研究が盛んに行われてきた。本稿では、寺村説(1982)をもとにし、研究を行いたいと思う。寺村(1982)と同じく、意味特徴の角度から日本語の受身文を大きく「直接受身文」および「間接受身文」の2種類に分ける。この二種類はそれぞれより小さく分け、以下では詳しく述べたい。

☆直接受け身文

まずはじめに、直接受け身文はどのようなものか見てみよう。

・対応する能動文を持つかないかという観点から、能動文を持つ受身文を直接受身文と呼ぶ。

・能動文のヲ格や二格の名詞句を受身文の主語にするタイプを直接受身文と呼ぶこともある。

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このような受身文は英語などと同じタイプである。また、意味的な特徴から中立受身と呼ばれることもある。

直接受身文とは、受身文の主語が直接的に他の人の動作・行為の影響を受け、動作の対象となっているという受動文の一つのタイプである。直接受身文に関して記述すべきことを、聞き手の立場から理解するとき、その直接受身文を構成する単語の意味を組み合わせ、文の全体の意味を理解する。一方、それを話し手の立場で考えると、ある事柄を受動主体を主役として描写する。

直接受け身文は、主語が述語動詞によって表される動作(動き)の直接影響を受ける受け身文である。また、もとの文のどの構成要素(直接対象か相手か)が受け身文の主語として表されるかという構文特徴の角度から、「直接受け身文」を

「直接対象の受け身」および「相手の受け身」に二分類する。「直接対象の受け身」はもとになる立場の動詞の示す動きの直接対象(「~を」)を主語として表す受け身構文である。「相手の受け身」は元になる立場の動詞の示す動きの相手

(「~に」)を主語として表す受け身構文である。

直接対象の受け身はいったいどんな受け身のタイプか、まず例文を考察しながら、解説しよう。

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例文28:

(a) 能動文:友達は 彼を 信用している。

(b) 受け身文:彼は 友達に 信用されている。

つまり、以上の例文を見て分かるように、直接受身文には必ず対応する能動文があり、以下のようにまとめられる。

A:動作主 B:動作対象 V:動作

※ A、B:友情名詞であるのは普通である。

そのほかに、直接受身文に言えば、能動文の主語が不明の場合も存在する。以上述べた受身文と違い、新聞、雑誌、ニュースなどの中でよく見られる受身文である。 例文29:

この 雑誌は 2010年の 夏に 発行された。

例文30:

会議は 会議室において 行われる。

受動主体の立場から見ると、例文10の「この雑誌」および例文31の「会議」は他から動作を直接受けるため、確かに直接受身文の種類に違いない。しかし、例文を見て分かるように、動作主がないということである。それはなぜだろうか。だれでも分かっているのはある出版社が「この本」を出版したこと、会社の人が「会議」を行ったことである。誰でも分かっているからこそ、動作主が省略されたのである。そこで、この受身の種類は常識的に、あるいは、一般的に事件や情報を伝える。

つまり、次のようにまとめられる。

A は(が)B をV る

B は(が)A にV られる

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それに対し、間接受け身文は、主語が述語動詞により表される動作(動き)の間接影響を受ける受け身文である。寺村(1982)では、「間接受け身文」には「持ち主の受け身文」および「第三者の受け身文」が含まれていると言われている。「持ち主の受け身」とは、もとになる動きの対象の持ち主を主語として表す受け身構文である。また、「第三者の受け身」とは、もとになる動詞により、迷惑を受ける第三者(もとになる立場の文には登場しない第三者)を主語として表す受け身構文である。

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☆ 間接受身文

ここでは、動作の働き方を基にする分類法においての間接受け身文を形態、構文、意味の三つの立場から考察する。まず、動詞の語形上では、間接受け身文および直接受け身文との間に差がなく、動詞の語幹に他動詞の助動詞「~r/areru」のついた形を持っている。

次に、構文の上から考察した間接受け身文はどんなものであろう。ある事柄を述べる文に別の関与者が加わり、この関与者がその出来事の影響を受けるということを述べた文は間接受け身文と呼ばれる。以上述べたように、間接受け身文は対応する能動構文を持っていない。間接受け身文の構文はある能動表現から派生するものとして、受け身の主体がその能動表現で表される事態の影響を被るという点が特徴である。 ある事柄を述べる文に別の関与者がかわり、この関与者がその出来事の影響を受けるということを述べた文は間接受身のニュアンスを持っている。既に調べたように、間接受身文は対応する能動構文がない。間接受身文の構文はある能動表現から派生するものとして、受動主体がそのの能動表現で表される事態の影響を被るというところが特徴である。

(a)を使うことによって、「私」には悪い影響を及ばす「雨が降った」という物事が明確に表現される。話し手あるいはある人が何かの物事から好ましくない影響を間接に受けるというのは間接受身文の特徴だと言えよう。図で、構文をまとめよう。

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Aは(が)Vる

Bは(が)AにVられる

A:動作主 B:受動主体 V:動作(自動詞)

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Aは(が)BのCをVる

Bは(が)AにVられる

A:動作主 B:受け身主体 C:動作対象 V:動作(他動詞)

以上分析したように、例文33、34、35 の共通点は起こった出来事は受動したいにとって、迷惑で、好ましくない影響だということで、間接受身文は迷惑受身文とも呼ばれ、この点は日本語の受身表現の特徴だと言えるだろう。

それゆえ、意味の上から考えれば、直接受け身文は受け身主体が直接的にほかの人・物の動作・行為の影響を受けるという意味を表す反面、間接受け身文は受け身主体がほかの人の動作や物事の成り行きの影響を間接的に受けたり感じたりするという意味を表すものであることが分かる。そして、受け身主体が関係者の立場に立ち、影響を感じるため、間接受け身文の受け身主体は必ず「人」とか、あるいは、それに準ずる団体などである。特に、「私」が主語となることが多く、その場合は主語を省略するのが普通である。

例文36:

昨日の晩、赤ちゃんに泣かれて、寝不足になってしまった。

(受け身主体「私」が省略された)

従って、受け身主体が出来事から被害・迷惑を被るという意味が明瞭に現れるのである。次に、例文37 を考えてみよう。

例文37:

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対応する能動表現

(b) 先生が ホアさんの作文を ほめた。

例文37では、確かに、受け身主体「ホアさん」は「先生が作文をほめた」という出来事に直接的に関与しないで、その出来事の影響から「うれしい」感じを得た。そうであると、間接受け身文は常に、迷惑の意味を表すという説は間違いだろう。しかし、例文37(a)をよく考えると、受け身主体「ホアさん」および動作対象「作文」の間で密接な所有関係で結ばれている。本論においては、このような受け身の種類を別の種類の「持ち主受け身」と呼び、研究を行う。

さらに、ほかの言語と違って、自動詞でも受け身態を形成するというのは日本語の一つの特徴だと言われている。自動詞で、受け身態を形成する場合と言えば、多くは間接受け身文にある。直接受け身文についての一番目で触れたように、他動詞と近い「に」格助詞を伴う有生名詞句をとる自動詞で直接受け身文が成立することもあるが、これらの名詞句が動作対象に含まれると考えると、自動詞ではなく、弱他動詞とでも言うべきものであろう。自動詞から成立した間接受け身文はほとんど次の例文のように迷惑・被害の意味を表す。

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け身文では自然現象としての受け身主体「私たち」とは無関係に雨が降った出来事から、受け身主体は主観で勝手に迷惑を感じる。

☆ 持ち主の受け身

以上記述したとおり、寺村説では、受け身文は大きく二種類に分けられ、「持ち主の受け身」も間接受け身に属していると言われている。それでは、持ち主の受け身はどのような種類か例文を見ながら、考察しよう。

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け身主体との関係におけて、この二つの動作対象を比較すると、身体部分の動作の対象のほうが、受け身主体に密接的に関わる。

当然ながら、「彼女の足」が「踏んだ」動作を受けるというのは彼女が直接的に作用・被害を受けるという意味であり、受け身主体は動作の対象と同一視されるように感じられる。それに対し、「私」および「私の財布」をそのように同一視できない。いわゆる、受け身主体および所有物の間の関係の密接さに基づき、それぞれの構文のを持つ意味は直接受け身文および間接受け身文の区別と同じように考えることができるだろう。

森山(1988)では、それぞれ「部分受け身文」および「所有受け身文」に分け、名を付けた。このように、例文40 は「所有受け身文」および例文41 は「部分受け身文」となっている。二種類とも間接受け身の持ち主に属している。

受け身文 トムさんはねずみに巣を作られた。

能動文 ねずみが巣を作った。

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以上の文では、トムさんは「巣を作る」動作には完全に関係がないのであるが、その影響を受け、いやな気持ちを持っている。そのため、第三者の受け身の別名は迷惑受け身や被害受け身となる。

Trang 38

ここまで日本語とベトナム語の受身表現全般について概説してきた。二つの言語の特徴における受身表現がいずれか、共通点も相違点も出てくる。本節では、そういう共通と相違点を指摘しようと目指し、対照研究を行う。

日本語とベトナム語における言語の特徴の相違の面で、受身表現と認める条件を基準として、比較する。さらに、例外的な共通と相違点の発想を取り上げる。

Trang 39

1.2.1.形態の面

まず、一番認識しやすい相違点は形態の異なっている点である。これは専ら言語特徴の異別から生じたものである。日本語の受け身文を形態の面から見ると、動詞

(未然形)に「られる」助動詞がつくことが分かる。すなわち、動詞が変形されたのである。しかし、ベトナム語は何度も言うように語形変化はないのであるから、受け身文の動詞も変形できない。孤立語のベトナム語では、受身表現を形成するために

「」と「」と言う状態動詞を他の動詞、名詞、形容詞と組み合わせ、受け身の連体形を作らなければならないのである。

a Nó bị lạnh cho nên đau bụng

あの子 r/areru 寒い ので お腹が痛い

この場合、日本語で受身表\現がない。日本語に訳すると、次の文になる。 b.あの子は寒いので、お腹\が痛い。

a Miền trung bị bão

中部 r/areru 台風

この文の中に本動詞がない。

b 中部が台風に襲われた。

「襲われる」動詞がなくては、受け身文にならない。

つまり、形態の立場から見る相違点は:

Trang 40

・日本語の受身文における動詞が変形する。ベトナム語には語形変化がない。(1)

・ベトナム語の受け身文には本動詞が出現しなくても、さらに、状態動詞と名詞とか形容詞などとの組み合わせの下で、受身表現が成立できる。一方、日本語の受け身態は動詞からしか成立しない。(2)

(2)での相違点の根拠はベトナム語の受け身文が意味の立場で認められることから生じるし、意味と構文の相違に関係がある。次に、意味と構文の立場で対照研究を行いたい。

1.2.2.意味の面

この立場で検討すれば、日本語とベトナム語はほぼ同じで、受け身文の中に影響を与える主体の存在とその影響を受ける主体の存在、あるいは、それらの関係が見られる。さらに、受け身文の意味が迷惑の意味か恩恵の意味かは、受け身文の種類を問わず、文の意味によって生じる。

私は先生にほめられた。(Tôi được thầy giáo khen.)

日本語の受け身態は形態と意味の間に関係がない。詳しく言えば、迷惑の意味を有しても、恩恵の意味を有しても<r/areru>という助動詞が変わらないのである。その反面、ベトナム語の受け身文では、主語である受け身主体にとって、被害である

Ngày đăng: 06/03/2023, 10:20

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