ĐẠI HỌC QUỐC GIA HÀ NỘI TRƯỜNG ĐẠI HỌC NGOẠI NGỮ KHOA SAU ĐẠI HỌC... そして、ベトナム語にも主に文末におく「Tiểu từ tình thái cuối câu」(直訳にすれば文末情態小詞になる)がある。「Tiểu từ tình thái cuối câu」という品詞は日本語の終助詞とよく似た機能を持
Trang 1ĐẠI HỌC QUỐC GIA HÀ NỘI TRƯỜNG ĐẠI HỌC NGOẠI NGỮ KHOA SAU ĐẠI HỌC
Trang 2ハノイ国家大学 外国語大学 大学院学部
ハノイ, 2013 年
Trang 3本稿において、ベトナム人日本語学習者が日本語の終助詞を会話などに よりうまく使用できるように、終助詞の中にある使用頻度の高い終助詞
「よ」、「ね」、「よね」を中心に研究し、初・中級範囲でベトナム人の 日本語学習者によるそれらの終助詞の誤用を分析する。その分析結果に基 づき、ベトナム人の日本語学習者に対する終助詞の指導法を提案する。 参考文献リストに載せてある文献以外の資料を引用したり、参考したり しないこと、調査結果は事実であることおよび本研究は筆者独自研究であ ることを誓う。
Trang 4ii
修士論文要約
本稿では、日本語及びベトナム語における終助詞について解説した上、 初・中級ベトナム人日本語学習者に対する「ね」「よ」「よね」の指導法 について考察した。
今後の研究は、こうした初・中級日本語学習者による誤用に留まらず、 上級のベトナム人学習者向けの終助詞の実際の使用についてさらに追及し、 学習者の習得の問題をさらに明らかにして行きたいと思う。本稿は筆者の 未塾さによりまだ触れていない問題が多くあると思うが、ベトナム人学習 者の終助詞学習に幾つかでも寄与できれば幸いである。
Trang 5目次序論
Trang 8(大曽1986)。
実際には次の例が示すように、誤った終助詞の使い方によって聞き手に不愉快な気持ちを与えることも尐なくない。
(1) 観光で訪れた博物館で博物館職員と日本語が流暢にできる外国人との間でなされた会話である。
「きれいですよ」あるいは「そうですよ」と言い返した。それらの文で「よ」が使用されているので、話し手の外国人がその前、この博物館を見に行ったことがあり、博物館職員が紹介したことを全部知っていると聞き手の博物館職員が想定してしまった。しかし、会話の最後のように、その外国人は初めてこの博物館に行った。この場合は、
「よ」を使用するのは不自然である。話し手の外国人が「この博物館」についての知識
Trang 9は全くないにもかかわらず、「そうなんですよ」、「きれいですよ」と言うならば、聞き手に不愉快な感じと誤解を与えることになる。それ故に、会話を円滑に進めるためには、誤解を生じさせないように「そうなんですか」とか「きれいですね」など、相手の発話と一致した答えを返す方が適切であろう。
また、以下の例のように、終助詞をつけるか、つけないかによって、その発話に対する聞き手の印象が大きく影響を受けることがある。
(2)教師:もう宿題はうちでしましたか。
学生1:はい、しました。
学生2:はい、しましたよ。
学生1、学生2とも「宿題をした」という内容を伝えているのは同じであるが、教師が受ける印象は大きく異なる。学生2のように「よ」が付加された発話のほうに「失礼さ」を感じる。
以上の二つの例のように、日本語の終助詞の難しさと終助詞をうまく使えないと会話自体が成り立たなくなることを感じられるようになった。
このような重要性にもかかわらず、終助詞は実際の授業では他の学習項目と比べてほとんど指導されることがなく、教科書の説明も不充分であり、現在のところ日本語教育における終助詞の指導に関する研究は充分とは言えない。そのために、多くの学習者にとって終助詞ははっきりした意味を持たないように見られ、使いこなすのは困難であり、日本人の使い方をなんとなくまねて使ってみるというぐらいのものであろう。
実際には、筆者が 8 年前卒業論文のために中・上級レベルのベトナム人日本語学習者の終助詞の運用力についての調査を行なった。この調査の対象はハノイ国家大学・外国語大学・日本語学部の3 年生(中級レベル)と 4 年生(上級レベル)の学習者である。また調査の方法として穴埋めテストである。その調査の結果により、ベトナム人日本語学習者は中・上級レベルとも終助詞の基本的な機能が理解できたが、その終助詞を会話に運用する能力は高くないと明らかにした。中級レベルの学習者は会話によく出る終助詞「ね」の「同意要求」・「確認要求」、「よ」の「情報提供」、「か」の「疑問表現」という用法しか分からなかったと明らかにした。「よね」の用法があまり知らず、会話に使用するのは殆どなかったと分かった。「の、わ、な、ぜ」などの他の終助詞を会話に使用するのは全くなかったと見られた。また、上級レベルの学習者は文法と語彙
Trang 103
などの知識がかなり身についていても、終助詞に関する知識があまり向上せず、コミュニケーションの場面にどんな終助詞を使用すればいいかということがはっきり分からないことが多く、文末に終助詞をつけないほうがいいと思ってしまう学習者がいたことも分かった。しかし、上述のように「ね」・「よ」・「よね」・「か」のような終助詞は実際の日常会話に様々の用法でよく使われているので、ベトナム人日本語学習者の終助詞の運用力を向上することはベトナム人に対する日本語教育に欠かせないことであろうと考えられる。
1.2 研究の目的と対象
日本語のコミュニケーションを上手に図るために、標準語を円滑におしゃべり、場面による適切な敬語を使用できるなどの以外、文末に終助詞をうまく付けることも必要だと言われている。しかし、ベトナム人日本語学習者は中・上級レベルに到達できても、終助詞の運用力が高くないと見られた。そこで、本研究ではベトナム人日本語学習者が日本語の終助詞を会話などによりうまく使用できるように、終助詞の中にある使用頻度の高い終助詞「よ」、「ね」、「よね」を中心に研究し、初・中級範囲でベトナム人の日本語学習者によるそれらの終助詞の誤用を分析する。その分析結果に基づき、ベトナム人の日本語学習者に対する終助詞の指導法を提案することを目的とする。
本研究の対象は日本語の終助詞、特に「ね」「よ」「よね」である。
1.3 研究の範囲
本研究で考察の対象としたものは日本語の終助詞であるが、主に日常会話での使用頻度が高い終助詞「よ」、「ね」、「よね」のみとする。他の終助詞の用法は学習者の参考資料として挙げられる(付録 2 の参照)。終助詞「よ」、「ね」、「よね」を中心として取り上げた理由はこれらの三つの終助詞が日常会話では「か」と同じように使用頻度が高い終助詞だと言われているからである。「さ」・「わ」・「ぞ」・「ぜ」・
「な」・「かい」などの終助詞はそれぞれ使用される場面などが限定されて、たとえ使いこなせないとしても実際の会話の上ではそれほど影響がない。しかし、「よ」、
「ね」、「よね」の方は実際の会話で使わない、不適切な使い方をする場合が多く見られる。それに、「ね」は初級学習者にも誤用がみられること、また「ね」が学習の早い
Trang 11そして、ベトナム語にも主に文末におく「Tiểu từ tình thái cuối câu」(直訳にすれば文末情態小詞になる)がある。「Tiểu từ tình thái cuối câu」という品詞は日本語の終助詞とよく似た機能を持っているので本研究では「ベトナム語の終助詞」という呼び方にする。本研究では「Tiểu từ tình thái cuối câu」のことをこれ以降「ベトナム語の終助詞」を言う。ベトナム人学習者が日本語を習得する際に、母語の終助詞の用法を確認してから「よ」
「ね」「よね」をはじめ、日本語の終助詞を習得した方が速いではないかという考えにより、本研究ではベトナム語の終助詞を紹介する。その上に、日本語における終助詞とベトナム語における日本語の終助詞とよく似た機能を持つの比較も行う。日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の共通点及び相違点を理解することによって、日本語の終助詞を会話によりうまく使用し、特にベトナム人学習者の日越・越日の通訳能力が向上できるであろうかと考える。
峯(2006)は学習者の内部アンケートを分析し、初級から中級前期の学習者には授業の影響が大きいのに対して、中級後期から上級日本語学習者の文末表現の使用頻度には日本人との接触頻度が大きな影響を与えると指摘し、「日本人のまねをして使ってみるようになった」など学習者のストラテジーを紹介している。このように初級から中級の学習者には授業で日本語の終助詞を教授するのが非常に大切であると言える。そのために、初・中級レベルのベトナム人日本語学習者を対象にする日本語の終助詞についての調査を行う。初級レベルの学習者は 300 時間以上日本語を習得し、中級レベルの学習者
は 600 時間以上日本語を習得する。この調査の目的は初・中級レベルのベトナム人日本語学習者の「ね」「よ」「よね」の用法に関する理解度と運用力を調べることである。調査の方法は穴埋めテストである。この調査の結果の分析により、初・中級レベルのベトナム人日本語学習者に対する日本語の終助詞の用法を早期からしっかり把握し、それを会話に適切に使用できるような指導法を提供する。
1.4 研究の方法
Trang 147
国文法分野における研究の例を一つとり、鈴木(1976)は終助詞全体を「話し手中心の終助詞(A 類)と「聞き手中心の終助詞(B 類)」とに分類した。その中で、「よ」は「話し手中心の終助詞」で聞き手への「もちかけ」に用いられ、話し手自身の意向に深く関わって禁止や命令の表現にも下接し、聞き手への配慮を幾分か含みながら話し手の確認に関わる性質をもつことを指摘する。「ね」は「聞き手中心の終助詞」で聞き手への「もちかけ」に用いられ、聞き手の意向に対する配慮を示し、聞き手に同意を求めその意思を尋ねようとする性質を持つことを指摘した。
次に、日本語文法・日本語教育分野における研究は主に語用論的側面から終助詞
「よ」と「ね」を検討した研究が数多く発表されるようになった。
大曽(1986)は、以下の例(3)と(4)に代表される例文を挙げ、「判断の一致」を前提とする文に「ね」が用いられ、「判断の食い違い」を前提とする文に「よ」が用いられることを指摘した。
(3)アメリカ人はあまり働きませんね。 (Người Mỹ không mấy làm việc nhỉ?)
(4)いや、よく働きますよ。 (Không, họ làm việc nhiều đấy chứ.)
また、陳(1987)では「終助詞は話し手と聞き手の間の認識のギャップをうめることにかかわる表現手段である」という点から、「よ」と「ね」について、「『よ』は話し手がすでに認識し、聞き手がまだ認識していない情報について、話し手が聞き手に対して伝える必要があると判断して伝えるときに使われる」、「『ね』は、聞き手の認識にたよって、または、聞き手の前で、話し手が自分の認識をたしかなものにするときに使われる」と結論づけた。
益岡・田窪(1992)でも同様の立場で述べられ、「ね」は相手も当該の知識を持っていると想定される場合に用いられる、つまり、自分の知識と相手の知識が一致していると想定して用いる。それに対し、「よ」は相手が知らないことに注意を向けさせる働きをする。したがって、場合によって、単なる知らせ、注意、警告などの様々な意味を表すとする。
また、発達研究、自閉症研究の各分野には「よ」と「ね」に関する研究は主に対人関係機能を指摘し、言語心理学の分野を中心とする語用論的アプローチは主に「よ」と
「ね」の内在的意味を指摘し、認識科学分野を中心とする談話管理理論に基づくアプローチは主に「よ」と「ね」が果たす情報伝達時の手続き的な指示機能を指摘する。
Trang 15かな?
Trang 17第一章 日本語の終助詞
1.1 終助詞とは何か
日本語の終助詞はこれまで様々な視点から研究がなされてきた。初期の国文法分野で終助詞の研究が開始された。山田(1908)は、「終助詞は上接語への接続に一定の法則があり、陳述に関係して命令・希望・感動などの意味を表しつつ文を終止させる助詞である」と定義している。山田(1908)は終助詞を「この助詞どもはこれが付属するによりて陳述が完結するものにして之を除き去るときは文の精神を変ずることあるもなり」と規定しており、その機能が「文の意味」の終止よりも「文の精神」と関係するものであることを終助詞研究端緒の段階から指摘している。その後、鈴木(1976)は「終助詞は、話し手と聞き手の関わり合いを示すものである」と述べており、終助詞を話し手中心のものと、聞き手中心のものとの二つに分けている。その他、終助詞について様々な定義が挙げられた。
終助詞に関する先行研究の成果により、筆者は終助詞について次のように考える。終助詞は文の終わりに付けられ、聞き手に対する話し手の態度・判断を反映した表現の一つである。
1.2 終助詞の一般的な特徴
① 終助詞は役目の上で他の助詞との相違点がある。それは他の助詞が語と語の間の関係を明確にする役目を果たすことに対して、日本語の終助詞は文の全体判断を聞き手にもちかけ、関係づけを作る役目を果たす。例えば、「雤が降るか」といえば、「雤が降る」という全体評価を相手にもちかけて問うことである。また「雤が降るぞ」といえば、「雤が降る」という全体判断を相手に教示するわけである。
② 日本語の特徴として膠着形態および語順が比較的に自由であることから、質問・疑問の表明には、ヨーロッパの諸言語では語順が変化することが多いのに対して、日本語の文の語順は不変で、文末に終助詞を添えることで表現する。これは推量の表現において、文の終止形の後に推量の助動詞を加えて表現するのと基本的に同一の表現方法で
Trang 1811
ある。それ故に、日本語では文の最後部分まで聞き取らないと、疑問や否定や推量などの意味が聞き手を受け取られない。
③ 变述文に対して、話し手が疑問や詠嘆や希望や命令や禁止や確認などの意味を表したいとき、文末に終助詞をつける。文末につけられた終助詞によって一定の文表現を成立する。
④ また、日本語の終助詞は文末のイントネーションの違いによって、表現する意味も異なる。
例(7)もう 10 時ですよ。 子供は早く寝なさい。
(8)約束の時間は 10 時ですよ。
例(7)では「よ」を上昇イントネーションで発音すれば、話し手が時間を知らない相手に「10 時になった」ということを教示するとともに、聞き手の注意を喚起することができる。また、例(8)の「よ」を下降イントネーションで発音すると、話し手の
「何度も確認したのにまた聞かれる」というニュアンスも示す。
⑤ 最後に、終助詞の使用法により顕著な男女差および話し手と聞き手の関係(年齢・親しみ・位置など)が見られる。以下の例からそれがはっきり見られる。
Trang 19要するに、終助詞は常に文末に位置する特性を持っている助詞であり、話し手が聞き手に対する働きかけの気持ちを表すものである。
1.3 日本語の終助詞の分類
日本語の終助詞の分類については、分け方がさまざまである。本章では文表現の成立に関与する可能性によって、日本語の終助詞を大きく つのグループに分類する。それは文表現の成立に関与する終助詞および文表現の成立に関与しない終助詞である。文表現の成立に関与する終助詞は文表現が決定できる。文表現の成立に関与する終助詞は「か、かしら、ね、よね、な、かな、の、わ、わい、さ、い、こと、って、っけ、とも、もの、たら」を含んでいる。文表現の成立に関与しない終助詞は文表現の成立に関係しないが、聞き手の注意を促した、念を押したり、話の内容を相手に押し付けたりするものなどがある。文表現の成立に関与しない終助詞は表現内容を相手にもちかける終助詞および文末に余情を残す終助詞から成立される。表現内容を相手にもちかける終助詞は「よ、や、ぞ、ぜ」であり、文末に余情を残す終助詞は「けど、が、のに」である。
上述のように、本研究の研究対象は「ね」「よね」「よ」であり、「ね」・「よね」は文表現の成立に関与する終助詞で、「よ」は文表現の成立に関与しない終助詞のグループに属している。この終助詞の分類法により「ね」・「よね」と「よ」の用法の違いがはっきり理解できる。このようにこの終助詞の分類の仕方に選択した。
Trang 20の
終助詞
文表現の 成立に関 与する 終助詞
文表現の 成立に関 与しない 終助詞
か 、 か し ら 、ね、よね、な、かな、の、わ、わい、さ、い、こと、って、っ
け 、 と も 、 もの、たら
文末に余 情を残す 終助詞
表現内容 を相手に もちかけ る終助詞
けど、が、のに、 よ、や、 ぞ、ぜ
Trang 21このような終助詞「の」による表現は話し手の性別・年齢などにはほとんど関係なく、広く用いられるが、命令「の」はその性格上、後輩または目下に対する場合に限られる。また、質問や平变の表現では、敬語や敬体と共存しうるがこうした用法はもっぱら女性は用いる上品な言い方である。
Trang 2215
これは女性の特有である。これを敬語や敬体とともに用いたり上品なやや気どった言い方とされる。
しかし、最近の若い女性の間では「こと」による質問や詠嘆の表現は衰退しつつある。
文末の「こと」を強制で発音すると、命令の意味を表す。
例(23)12 時までに駅前に集まること!
Trang 23むしろ、掲示や文書などに注意辞事項を述べる場合などに、よく用いられる。
1.4.4 終助詞「と」
文末における「と」を上昇調イントネーションで発音すれば、質問を表す。例(24)中村先生が御病気ですと?↑
例(29)ええ、分かってますって。
Trang 2417
これは相手を突っ放したような言い方である。性別・年齢にかかわらず、比較的広く使われるが、ややぞんざいな言葉づかいになり改まった場面に用いられない。
Trang 25「よ」「ね」「よね」についての考察
終助詞「よ」「「ね」「よね」は書き言葉の文には殆ど用いられないが、日常会話に頻繁に使われており、全文体の会話に及ぼす影響が多い。以下に「よ」「ね」「よね」の機能をそれぞれ述べる。
2.1 「ね」についての考察
「ね」の機能について杉藤(2001)では、「終助詞『ね』はこれを付加することによって話し手の心情を明らかにするとともに、生き生きとした対話を成立させる機能を持つ」と述べられておる。また、宇佐美(1999)は「終助詞『ね』は敬語のようにそれ自体が文の『丁寧度』を表すものではない。しかし、それが話者の発話態度を付随的に示すことから、これまでしばしばその『対人調節機能』が指摘されてきた」と説明している。このように、終助詞「ね」は話し手が聞き手に自分の気持ちを示す機能を持つとともに、コミュニケーションを円滑にする働きがあることが分かる。
「ね」の用法は主に「共同注意」を求めるのに使われる。「共同注意」について、守屋
(2006)は、「共同注意」とは、相手と同じ対象を共に見ることであり、注視を求める者と求められる者および『見え』(対象)の三項関係において把握される。「共同注意」では対象への意味づけが共有され多くは心的交流を伴う」と述べており、「共同注意」とは、話し手と聞き手との共有情報、話題或いは見ているモノについて、話し合ったり交流したりすることだということが分かる。さらに、守屋(2006)では、この「共同注意」は自閉症児にとって困難であることやその発話において特に終助詞「ね」が欠如することが報告されており、「ね」がある対象を挟んで対話する際の話し手と聞き手の心的交流すなわち「共同注意」に深く関わっていることが分かる。
ま た 、 終 助 詞 「 ね 」 は 人 に 親 し み を 感 じ さ せ る 。 し か し 、 宇 佐 美 (1999 )では、
「『ね』の使用は親愛表現とつながるが、多用すると時と場合によっては、好ましくない印象を与える」と述べられており、終助詞「ね」の使用は時と場合によって注意しなければならないことが分かる。
Trang 2619
以下、会話における「ね」の基本用法について、上述の「共同注意」の観点から①会話促進②注意喚起③発話緩和④発話内容確認⑤発話埋め合わせ⑥その他の 6 つに分類し、例を挙げながら説明して行きたい。
2.1.1 「ね」の基本的な用法
2.1.1.1 会話促進
会話促進の「ね」について、宇佐美(1999)は会話促進の「ね」は話し手が自分の考えおよび情報などが聞き手のそれと一致していると思い、相手との発話に一体感を示したり同意を示すために使われていると述べている。また一体化志向などと呼ばれてい る。「ね」の基本的な働きが最も素直に実際のコミュニケーション機能として働いている場合であると考えられるため、同意要求の「ね」もこの分類に含められると説明している。
例(30)
A:「暑くなりましたね。」
B:「そうですね。」
以上例文のように、A の「ね」は B に同意を求めるのに使われ、B の「ね」は A に意見の一致を示すのに使われている。宇佐美(1999)は、これらの「ね」は話し手と聞き手の情報や判断の一致を前提として使われている話し方であるが、現実には、ほとんど習慣的、無意識的に用いられることが多いと述べている。
も し 、 こ の 「 ね 」 を 取 り 去 れ ば 、 聞 き 手 に ど ん な 感 じ を 与 え る だ ろ う 。 宇 佐美
(1999)では、「この用法の『ね』は、取り去ることも可能であるが、そうすると、その話者の言い切りによって、会話の流れが途切れる感じや、ぎこちない感じになってしまうものが多い」と述べられている。このように、「ね」は、会話を自然にし、話を先へ促していく役目を持っていることが分かる。
2.1.1.2 注意喚起
注意喚起の「ね」について、宇佐美(1999)は、注意喚起の「ね」は話し手が聞 き手を自分の話題に引き込むために、自分の発話を強調したり、相手の注意を喚起するものであり、聞き手が同じ情報を持っているかどうかという判断の必要はない。つまり、この「ね」は話し手を中心とする用法であると説明している。
Trang 27「会話促進」の「ね」と「注意喚起」の「ね」には違いがある。両者の違いについて、宇佐美(1999)は、以下のように説明している。
「会話促進」の「ね」が取り去るとぎこちない感じになってしまうものが多いのに対して、「注意喚起」の「ね」は、取り去っても、文意が変わったり、ぎこちなくなるということはなく、また、相手に失礼になるということもないという点である。むしろ逆に、多用すると、相手や時と場合によっては、失礼になってしまう危険性がある。それは、この「ね」が話し手中心の用法であるからであろう。
このように、「注意喚起」の「ね」がなくても、文意に変わりはなく、相手には失礼にならないが、場合によって使いすぎると、失礼になる可能性があることが分かる。また、この点に関して名古屋大学日本語教育研究グループ(1988)は、「この『ね』は主にくだけた会話の中で使い、あらたまった会話の中では使わない」と述べており、フォーマルな会話の場合では注意喚起の「ね」が使えないことが分かる。
2.1.1.3 発話緩和
発話緩和の「ね」について、宇佐美(1999)では、「この『ね』は話し手が聞き手が知らないであろうと判断する情報を提供するときにも用いられ、あえて『ね』を用いて聞き手との情報の共有性を示唆することによって、発話を緩和する機能を果たしている」と説明されている。つまり、発話緩和の「ね」は相手に知らない情報を提供するのに使われるのと同時に、口調を緩和する機能を持つことが分かる。
Trang 282.1.1.4 発話内容確認
次に、発話内容確認の「ね」について、宇佐美(1999)では、「話し手が単に事実をよく知らないという場合もあるが自分の考えに自信がないときに、相手に確認する場合もある」と述べており、つまりこの「ね」は自分の持っている情報や意見について正確かどうか相手に確かめる用法であるということが分かる。
例(33)
A:「ところで、あしたジョンさんの別れパーティーですね。」
B:「ええ、そうです。」
話し手が聞き手に確認するときに使われており、この「ね」は終助詞「ね」における最も典型的な用法だと言われている。また、この「ね」を使うとき、よく「よ」を
「ね」の前において「よね」になる形式で使われている。
2.1.1.5 発話埋め合わせ
発話埋め合わせの「ね」について、宇佐美(1999)は「話し手が、発話中に不 確実な言語表現のために言いよどんだ時や次の表現を計画する時間を稼ぐための間を埋め合わせるため、また、会話のギャップを埋めたりするために挿入される言葉(フィラー)に付随するもの」だと説明しており、つまり、次の会話までの間に尐しの時間を稼
Trang 29いだり、会話の間隙を埋めたりする機能を持つ「ね」だということが分かる。これを、間投助詞としての用法と述べる説もある。
例(34)
「えーっとですねー、じゃあまず、この機械の発動し方を説明します。」
このように、この「ね」は「えーと」というフィラーと共に使われており、会話において埋め合わせ表現の 1 つに見える。ところで、この発話のような埋め合わせの「ね」はよく「です」をつけ、「~ですね」という埋め合わせ表現になって用いられ、単独で使われることはないと言われている。宇佐美(1999)では、「『ですね』という言い方は、注意を喚起し、発話順番を保持するという話し手中心用法の『注意喚起』の『ね』に、より改まった場面でも使用できるように敬体『です』をつけて、丁寧度を高めたものが慣習化したものと思われる」と説明されており、「ですね」は注意喚起の「ね」をより丁寧度を高めた用法だということが分かる。
2.1.2 「ね」の特殊な用法
終助詞「ね」は上記の主な用法以外にまたいくつかの用法がある。次頁、特に 5 つの用法を取り上げて説明する。
② 行動宣言の「ね」
Trang 3023
例(36)「あ、宅急便きたみたいだから切るね。」
方便を言って私は一方的に電話を切った。
次に、この例の「ね」は行動宣言の「ね」として使われている。行動宣言の「ね」について、野田(2002)は、自分の行動を聞き手に宣言し、聞き手の認識との一致を促 しており、これも「よ」に接近していると説明している。
<自己確認>の『ね』は、その文の内容が思考の過程を経た結論であることを聞き手に示すという機能を果たしている」と述べられており、この「ね」は話し手が思考してから結論を聞き手に「ね」で示し、承認することを求める表現だということが分かる。
⑤ 拒絶表明の「ね」
例(39)
Trang 31A:「嫌だね。」
B:「嫌だね、だってよ。おい、聞いたか。城戸は、まだ俺たちに逆らうつもりだぜ。」
この「ね」は拒絶表明の「ね」として使われている。野田(2002)は、「文の内
容と話し手の決心を、聞き手の前でわざわざ一致させて示すことで、強い拒絶を表すという特殊文である」と述べており、拒絶表明の「ね」は話し手が聞き手に対してその場で下した決心を自己確認の「ね」を通して提示することで、強烈な拒絶を表す用法のことだということが分かる。
2.1.3 終助詞「ね」のイントネーション
次に、「ね」を使う文のイントネーションについて説明していく。終助詞「ね」のイントネーションは主に上昇調と下降調に分けられる。しかし、一方で、橋本(1999)は、
「『ね』のイントネーションの型について、その認定が十分に確定していないことを忘れてはいけない」と述べており、「ね」のイントネーションについて、実際は認定が不確定だということが分かる。本節では、このイントネーションのあいまいさを念頭に置き、「ね」のイントネーションによって分類するのではなく、聞き手の反応を求めるかどうかという「ね」の用法の観点に沿ってそのイントネーションを説明する。
2.1.3.1 聞き手に反応を求める「ね」について
聞き手に反応を求める「ね」について、杉藤(2001)は「終助詞『ね』は上昇調であり、上昇調を要求する理由はこの助詞が聞き手の反応を求めることを前提とするから である」と述べており、問いかけの「ね」は基本的に上昇調となることが分かる。すなわち、上記で述べた発話内容確認の「ね」は上昇調に属すると思われ、また会話促進の中に属する同意要求の「ね」、注意喚起の「ね」も上昇調となっている。
しかし、「聞き手に反応を求める」という観点からすると、拒絶表明の「ね」は例外であるにもかかわらず上昇調になる。野田(2002)では、「聞き手に問いかけたり反 応を期待したりする文ではないのに、上昇イントネーションをとるという点にも、独自性がある」と述べられており、上昇調の「ね」にも相手の反応を求めないタイプが存在することが分かる。
Trang 3225
2.1.3.2 聞手に反応を求めない「ね」について
聞き手 の 反 応 を 求 め な い 「 ね 」 の イン ト ネ ー ショ ン と意 味 、 機 能 に つ い て、 杉
(2001)では、「意外、困惑、賞賛、あるいは、確認(聞き手への確認でなく)とくに自己確認、決断、喜怒哀楽など多岐におよぶが、あえてまとめれば、『自己確認』であろうか。(中略)聞き手の反応を求めない終助詞『ね』には平坦、下降と共に上昇調もあることが明らかになった」と述べられており、この非上昇調の「ね」は感情、表現の強調に使われていることが分かる。つまり、その他の中に属する自己確認の「ね」は下降調となっていると思われる。
聞き手に反応を求めない「ね」のイントネーションは、普通下降調となるが、そうでない場合もあると言われている。杉藤(2001)は「反応を求めない場合には平坦あるいは下降調となる傾向はあるが、反応を求めない『ね』の中にも上昇調の例が観察され る」と述べており、上昇調には例えば聞き手の反応を要求しない「ね」、例えば特殊な用法のその他の中に属する行動宣言、拒絶表明の「ね」というのも存在しているように、明確に区別することは難しいことが分かる。
2.1.4 まとめ
このように、終助詞「ね」は、人の心情を明らかにすると同時に活発な対話を成立させる機能を持つ。特に「ね」は<共同注意>を使い、聞き手を自分の話に引き込ませ、心的交流を促す。以下、本章で述べた終助詞「ね」の基本について、いくつかの重要なポイントをまとめてみた。
① 会話促進の「ね」は話し手が聞き手との情報や判断を一致させる場合に使われるものである。また、同意要求の「ね」もこの分類に含められている。
② 注意喚起の「ね」は話し手が自分の発話を強調し、聞き手の注意を引き、話題に引き込むのに使われる。
③ 発話緩和の「ね」は話し手が聞き手に知らない情報を提示するためのやわらかいニュアンスを与えるのに使われる。
④ 発話内容確認の「ね」は話し手が聞き手に自分の不確定の情報を確かめる場合に使用される。
Trang 33⑤ 発話埋め合わせの「ね」は話し手が話の途中に口ごもる時や時間を稼ぐために、会話の間隙で用いられる。
⑥ 他に、終助詞「ね」は違う意見を唱える場合、自分の行動を聞き手に宣言する場合、聞き手に自己確認する場合、回想、または拒絶表明の場合にも使われている。
⑦聞き手の反応を求める場合には一般的に上昇調の「ね」となるが、例外もある。
⑧下降調、または非上昇調となる場合、普通は聞き手の反応を求めない用法である。しかし、行動宣言や拒絶表明の「ね」は聞き手の反応を求めないが、上昇調のイントネーションとなっている。
2.2 「よ」「よね」についての考察
「よ」は「ね」に比べて、使わないと不自然になる場合が尐ないこと、目上の人に使うと失礼になりやすいことから、あまり積極的に教えられず習得も遅いようである。次に、
「よね」は「ね」と比べると、微妙な違いがあるものの、どちらでも基本的には話し手が発話の命題内容の事柄に対する認識を聞き手に確認したり、聞き手と共通の認識であることの同意を求めたりする機能を持つとされる(伊豆原2003)
2.2.1 「よ」の用法
終助詞「よ」の機能について、曹(2000)は、いくつかの重要なポイントを挙げている。その内容を以下のように整理してみた。
2.2.1.1 相手が知らないことに注意を向けさせる「よ」
Trang 3427
まず、「よ」は、相手が知らないことに対して、話し手が情報を提供する場合に使用される。
例(40)
A:では、どなたですの。
B:私はここの所長ですよ。
この例(40)のように、A は B の身分を知らず、それに対して B は A に情報(自分の 身分)を提供している。相手の知らないことを提示する用法は、「よ」の最も基本的な機能だと言われている。
2.2.1.2 強調の意味を表す「よ」
次の、「よ」は強調の意味を表わし、話し手と聞き手の情報や判断の食い違いを前提としている。
例(41)
A:2020 年夏のオリンピックはニューヨーク‐でやりますね。
B:いいえ、東京すよ。
この例(41)では、 B が A が明らかに B の持っている情報と異なる認識をしていると知って、それに反論している。「よ」を使うと变述する事柄に対して話し手が強い確信を持っていることが表される。
2.2.1.3 言い張る。言い聞かせる気持ちで念を押す「よ」
この「よ」の用法は、話し手が自分の意見の方が妥当だと言い張る場合や、聞き手に対して、言い聞かせ、説得する場合に使う。
Trang 35り、B は「むずかしい」という自分の方が妥当だと言い張り、相手が判断を変えるように勧めているニュアンスがある。
2.2.1.6 勧誘・ねだりを表わす「よ」
最後に、話し手が聞き手に対して勧誘、ねだり等をする時に添加する用法である。例(45)
(友達同士で)
「今度どこかでおいしい物を食べに行こうよ。」
上述の例(44)は、命令、依頼表現に添加する用法だが、この例(45)は、「意向形」の勧誘の表現に「よ」を添加する用法である。
このように、「よ」は、以上の 6 つの機能があることが分かる。特に、相手が知らないことに注意を向けさせる点や、自身の判断や要求を聞き手に念押しする機能が特徴的である。
Trang 3629
2.2.2 「よね」の用法
「よね」が「よ」や「ね」と大きく異なるところは、話し手の認識が聞き手の認識でもあるか(なりうるか)を確認するために用いる点、つまり話し手の認識を聞き手の認識にするのに聞き手の介在を必要とするところにあると思われる。
「よね」について、野田(1993)と蓮沼(1992)が定義しているように「よ」と
「ね」の複合形であると捉えている説がある。つまり野田(1993)は「よ」と「ね」が重なるとき、それなりの機能を持つのではないかと考えており、「よね」の「一致型の想定」とは、話し手の知識と聞き手の知識が一致していると話し手が想定することだと述べている。そして、蓮沼(1992)も「よね」を複合化した形として捉えている。この説に対し、伊豆原(1993)は「コミュニケーション機能」という観点から、「よね」は
「よ」と「ね」の複合形ではなく、「よ」・「ね」と同じく、一つの終助詞として独立したものであると見解する。
「よね」に関する選考研究の成果により、筆者は終助詞「よ」と「ね」が「よね」となり、一緒に使われることがあると考える。「よね」の意味について、深尾(2005)では、
「自分の意見を提示し、相手の助けを借りて結論を出そうとする話し手の心的態度を表現する。(中略)『よね』を話し手の知識や意向が聞き手のそれと一致するか対立するかという話し手の想定において、『ね』文と同様、一致の想定を表す場合にだけ用いられる。このとき『よね』の『よ』は、話し手にも当該の知識や意向が確かにあることを示す標識となる」と述べられている。つまり、終助詞「よね」は「ね」の相手に確認する機能と自身の意見や知識について確信、断定する「よ」の機能の両方を兹ねそなえていることが分かる。しかし、「よ」が話し手と聞き手の情報が対立する場合にも使用されるのに対して、「よね」は「ね」と同様両者が一致する場合にしか使われないとされている。
また、駅でJRの職員に「しなの」という特急があることを知っていて「『しなの』という特急ありますよね。」と言ったり、また教師が学生に「OOについて先週説明しましたよね。」というのも、話し手の認識を聞き手に確認することで認識の共有を確認し、談話の進行をスムーズにしようとしているものと言える。
「よね」が話し手の知識が不確かな場合、あいまいな場合に使われること(金水:1993、蓮沼:1995)、また聞き手への配慮や確信のなさといった話し手の態度を表すこ
Trang 37例 (46a) (新幹線で乗り込んできた客が、座席は空いているが座席の足元には荷物があるのを見てためらいがちに)ここ、空いてないですよね。
例(49)
「気をつけろ*ね/*よね。」
この例(49)のように、そもそも、命令文は聞き手の意志に対する配慮を前提としない表現であるため、相手に確認する「ね」及び相手の意向に頼って結論を出そうとする
「よね」とは矛盾が生じ、共起ができない。一方、上で述べたように、話し手の意向を主張することに重点のある「よ」は、命令形でよく使用される。
さらに、深尾(2005)は、「相手に対する『すまない』という気持ちや『感謝』の 気持ち等は、話し手の直接的な感情表現であり、『相手の助けを借りて結論を出す』必要はないため、『よね』が使用できない」と述べており、謝罪や感謝戓いは苦情非難などの感情を相手に直接表現する時には、「よね」が共起しにくいことが分かる。
Trang 3831
この例(50a)と(50b)を見ると、例(50a)はうるさくしている本人に向かって直接非難し、きめつける発話であり、相手の意向を問う余地はない文脈であるため、相手の意向に頼る「よね」は共起できない。一方、例(50b)のように、うるさくしている人物が第 3 者の場合、つまり、話し手も聞き手も非難の対象ではない時は、聞き手には何の影響関係もないため、「よね」を使うことができる。
以上のように、「よね」は、自分の意見を提示し、相手の助けを借りて結論を出そうとする話し手の心的態度を表現する。それゆえに、終助詞「もの」や命令文、当事者への直接的な感情表示の際は「よね」と共起できないことが分かる。
表現する。
② 「よね」は命令文や話し手のストレートな感情を表現する文と共起しにくい。
Trang 39第三章 日本語における終助詞とベトナム語における
終助詞の比較
外国語を身に付けるためには、他の言語、特に自分の母国語と比較するのが早道だと言われている。このような二つの言語あるいは二つ以上の言語を比較研究することは
「対照言語学」(contrastive linguistics)と言う。これによって、二つあるいは二つ以上の言語の共通点と相違点が確認され、外国語教育にも役立つと同時に、それぞれの言語の特徴も捉えるようになる。それに加えて、二つの言語の共通点と相違点は、本来、それらの両国の文化や両国の人々の考え方の共通点と相違点から生じると言われているので、目標の言語を基本の言語と対照すること、すなわち対照分析(contrastive analysis)によって、二つの言語のことだけでなく、両国の文化や習慣などでも研究できることがある。
対照研究は外国語学習者に対して効果的な勉強法であり、特に通訳者や翻訳者になるための訓練を受ける人には欠かせない大切な指導法だと考えられている。
ベトナム語と日本語は異なった語族に属しているので、文法や音韻や語彙体系などにかなり違いがある。しかも、筆者が実際に日本語を学習したり、教えたりする経験から見れば、日本語とベトナム語の共通点もいくつ見えてきた。また、日本語の終助詞について研究した上で、日本語の終助詞とよく似た機能をもっているベトナム語の「Tiểu từ tình thái cuối câu」(文末情態小詞)があると分かってきた。筆者の教育経験によれば、ベトナム人学習者は日本語を習得する際に、終助詞を同様な機能を果たすベトナム語の
「Tiểu từ tình thái cuối câu」を同様なものとみなし、そこから終助詞を類推しているのではないかと考えられる。「Tiểu từ tình thái cuối câu」という品詞は日本語の終助詞とよく似た機能を持っているので本研究では「ベトナム語の終助詞」という呼び方にする。本研究では「Tiểu từ tình thái cuối câu」のことをこれ以降「ベトナム語の終助詞」を言う。
Trang 4033
そこで、本稿では、日本語の終助詞とベトナム語の終助詞の対照について考察する。終助詞の中では、対人コミュニケーションでよく用いられる終助詞「よ」、「ね」、
「よね」を取り上げる。分析の方法としては日本語教科書や参考書から、終助詞「よ」、
「ね」、「よね」に関われる例文を取り出し、ベトナム語に翻訳したときの終助詞の使用を見る。その際に、終助詞「よ」、「ね」、「よね」の機能に着目し、どの機能がベトナム語の終助詞に対応しているかを考察する。それによって、終助詞「よ」、「ね」、
「よね」に対応するのはベトナム語のどの終助詞であるのか、また、日本語の終助詞の機能とべトナム語の終助詞のどの機能が対応するのか(また、対応関係にはないのか)について明らかにすることができると考える。
3.1.ベトナム語の文末における終助詞について
3.1.1 ベトナム語の終助詞の定義
日本語の終助詞のように、ベトナム語の「Tiểu từ tình thái cuối câu」(文末情態小詞)についてはいろいろな研究が行われ、さまざまな名称を付けられた。多くの研究者はこの言葉の群を「Tiểu từ tình thái」と呼び、Lê Văn Lý (1972)はそれを「Phụ từ cảm thán」と呼び、Đái Xuân Ninh (1978) はそれを「Từ đệm cuối câu」と呼ぶ。けれども、本稿は多くの研究による「Tiểu từ tình thái cuối câu」という呼び方にする。また、「Tiểu
từ tình thái cuối câu」という品詞は日本語の終助詞とよく似た機能を持っているので本研究では「ベトナム語の終助詞」に翻訳する。本研究では「Tiểu từ tình thái cuối câu」のことをこれ以降「ベトナム語の終助詞」を言う。
まず、ベトナム語の終助詞の定義について、ベトナムで出版された『NgữpháptiếngViệt(ベトナム語文法)』(DiệpQuangBan、2005)は.次のように述べている。
「Tiểutừtìnhtháilànhữngtừbiểuthịýnghĩaquanhệgiữachủthể phátngôn vớimộtnộidungphảnánh; hoặcbiểuthịquanhệgiữaphátngôn vớinộidungphảnánh」
訳文:ベトナム語の終助詞は発話者と反照内容の関係意味を示すものである。それとも、発話内容と反照内容の関係を示すものである。
また、 Lê Văn Lý(1972)はそれを「Phụ từ cảm thán」と呼び、『diễn tả một tình cảm, một cảm tưởng như:vui, buồn,tức giận, ngạc nhiên,thỏa mãn… trong ngôn ngữ tình cảm(喜び、